イゾラドの幸せ
8月7日に放送されたこの番組を見た。
ブラジルとペルーの国境地帯に存在する人々、「イゾラド」と呼ばれる先住民族のドキュメンタリー。「イゾラド」とは、「隔絶された人々」という意味で彼らは文明社会と接触したことがない。
番組の終盤で「あなたたちはしあわせか」と問うている。
そもそもイゾラドには「幸せ」という概念があるのか。
文明化された我々にとっての「幸せ」とは、ある種、相対的なもので周りと比べて測っている。
隔絶された人々であり、少数の共同体である彼らには比べる対象がない。食料がなくなればみんながつらいし、好物であるリクガメを得た時はみんなが嬉しい。
おそらく、「幸せか不幸せか」っていう考えがないんだと思う。
本能的に生きて、食べて、子孫を残し、死んでいく。
そんな彼らに幸せかを問うのは、文明側の驕りではないだろうか。
「イゾラド」は「イドラド」であり、それ以上でも以下でもない。
こちらの概念は持ち込む必要はないし、平行線のままでもいいと感じた。
文明化された我々は一定の距離を保ちつつ、見守っていきたい。
いつから考えだすか
憧れの職業「サッカー選手」。自分自身も高校までは必死に全国を目指し頑張ってきたし、大学でもサークルでゆるゆるではあるが楽しくサッカーをしている。
その憧れの職業の実態は一部の輝く人を除くと、厳しい現実があった。
2016年の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)1部の選手の平均年俸は、2017万円。これが2部(J2)になると各段に下がり、平均年俸は400万円強。さらに3部(J3)では、平均値が算出できないほど危うい状況になっていく。
J3のクラブチームは、「プロ契約選手の保有人数が3人以上」という規定になっており、プロとアマチュア(無報酬)の選手が入り混じっている。プロ契約でも年俸の下限はなく、ほとんどの選手がアルバイト(副業)をしながらプレイしているのだ。しかも、引退後のセカンドキャリアはさらに厳しいという。
セカンドキャリア問題は、サッカーだけに限らず様々なスポーツにある。
実態としては引退間際や引退してからセカンドキャリアを考えだしている人が多く、苦労しているという。
私は、原因の一つとして学生時の指導者の責任もあると感じている。高校サッカーに関していえばひたすらサッカーだけを打ち込んでいればいいという風潮が多少ある。ある程度の結果を残してしまえば、高校の推薦枠などで大学にも進め、そこでも結果を残せばプロにひっかかってしまうのである。つまり、キャリアについて考えるまでもなく道が拓けてしまうのだ。
指導者の責任として、他にも異なる選択肢があることや夢を追うリスクも同時に伝え・考えさせるべきではないだろうか。綺麗事だけではなく、仮にプロに行けたとしてもこのように終わってしまう可能性がある。それでも夢を追いたいやつは追え。そう伝えなくてはならないと思う。それはやはり早ければ早い方がいい。そこで選手も悩んだ分だけ、次の選択に誇りを持ってチャレンジしていけると思う。
2016/07/31
就活 夢を持つこと
「夢を持て」 「やりたいことを見つけよう」
就職活動を始めた時に、多くの大人や就活生が口にしていた言葉。
いち文系でいわゆるフツーの大学生活を送ってきた自分からするとそんなものあるはずもない。探そうにも、見つけようにも、材料となる経験もない。
そこで一つの疑問が生じた。「夢って本当に持たないといけない?」
某人材会社などの社員の方とお話する機会が多々あり、徹底的に夢・やりがい・やりたいことを見つけるよう促され続けた。過去の経験から、トヨタ式のなぜなぜ分析によって過去の行動の理由を考え、そこから適性、適職を見つける。というか、思いこませる。そんな事をさせられ続け、心の中がモヤモヤしていた。
そもそも、過去の経験から学んで考えることは大事だけど、それは同じ事柄だった時に限られるくないかと。
今まで働いたこともないのに、
過去の部活の経験⇒よく後輩を指導し、様々な人と関わってきた
⇒チームをまとめる楽しさ・人を変えるやりがいを感じた
⇒人と接することの多い、教育サービスを担う会社につきたい
という意味不明なロジックを組まされる。まあ、人材会社なのだからクライアント(ここでいう教育サービスを担う会社)のための行動としては当たり前だとは思うが。
大学生の職業選択においては、ほとんどが夢・やりたいことなど持てない。なぜなら今まで働いた事がないのだから。本当にこれに尽きる。持てたとしても、思い込みや幻想がほとんど。今までの好きなことってあくまで「趣味」でしかなくて、やろうとしているのは「仕事」。自分だけじゃなくて、他者も関わりあって成り立つ。
変に、ゴールを設定させることは人生や可能性を狭めるのではないかと思う。
もちろん、「夢を持つこと」を全否定するわけではない。むしろ、持ったほうが就職活動したり働く上では原動力になりうる時もあるとは思う。しかし、「夢を持たない」という選択肢もあっていいのではないかと思う。生きていく中で、その時々に持った興味・関心から行動してみても良い。むしろ、その方が本人にとっての本当の意味での夢がハッキリしてくると思う。
つまり、言いたいのは就職活動の時点で夢の有無は考えさせすぎる必要はない。あれこれ考えすぎる前に色んな会社を見て、色んな社会人や友達の話を聞くことのほうが大事だと思う。と、就職活動を終えてみて感じた。
2016/07/27
ブログ開設
関西私立大学の4年生です。就職を控え、何かを始めてみようと思い始めてみました。働いていく、生きていく上で「考えること」が重要です。その考えた事を整理し、表現し、記録に残す手段としてこのカタチを選択しました。拙い文章で、浅はかな考えばかりだと思いますが、あくまで自分による自分のための自分のブログだと考えているのであしからず。
2016/07/26